萩の寺について
集う人々
相島虚吼(きょこう)の句碑
昭和7年(1932)4月建之
虚吼
雛の座にカチカチ山の屏風哉
登山口道に画きて教えけり
放屁虫貯へもなく放ちけり
飼い犬を甘ったらかす火燵かな
本名、勘次郎。慶応3年茨城県生まれ。大阪毎日新聞社に入社し、日清戦争には従軍記者となり、同じ従軍記者であった子規と知り合いました。明治45年衆議院議員に当選し、憲政擁護に奮闘しました。大正6年大阪毎日新聞に戻り、学芸部長や政治部長などを歴任。のちに昭和日々新聞を創刊し主宰となります。俳句は正岡子規、高浜虚子に学びました。建立された句碑の裏には、405名の醵金によって出来たものと師の虚子が記してあります。昭和10年69歳で亡くなりました。